2010年05月20日
いっぷくにゃのにゃ。
去る4月29日。
JR広島駅近くの明星院(みょうじょういん)と饒津神社(にぎつじんじゃ)にて…
上田宗箇(うえだそうこ)流の茶会がありました。
私はお茶の心得はないのだけれど、
こういう機会もめったにないので好奇心で母と共に参加。
会場となった、饒津神社(にぎつじんじゃ)は、ちょっと
変わった建物です。
一般的に鳥居から見てまっすぐ奥に社殿があるものですが、
参道からくの字をかくように
斜めの方向に社殿が建てられています。
ガイドさんによると、饒津神社は広島城から見て
丑寅の方角(いわゆる鬼門)にあたり、
広島城を護るように、社殿をわざわざ広島城に向けて
建てたのだそうです。
上田宗箇は戦国時代の武将であり、のちに浅野家の家臣となった武家茶人。
今回は浅野家ゆかりの饒津神社の400年祭ということで、
お祝いの茶席なのです。
もう一方の会場、明星院でも浅野家との深い関わりがわかるのが…
本堂奥の赤穂義士像。
赤穂(兵庫県)の浅野家は広島の浅野家の分家になるのだそうです。
やはり、四十七士といえば大石内蔵助。
母いわく「まー、よしおさんが居ってじゃ。(*´Д`*)」
よしおさんて…∑( ̄ロ ̄|||)
大石主税 15歳。幼さが切ない。
明星院は原爆のときに建物が倒壊しながらも、奇跡的に焼失をまぬがれ、義士像も残ったそうです。
腕などが欠けているのは、原爆の名残なのですね。
広島市内で「木製」のものが残っているのは、本当に珍しいです。
元気よく泳ぐ、鯉のぼり。
広島城は「鯉城(りじょう)」とも言います。
歴史を感じながら、一服したのでした。
↑こちら、我が家のいっぷくぷくにゃんこ。
お茶よりお茶菓子が気ににゃる、にゃっちに一票
JR広島駅近くの明星院(みょうじょういん)と饒津神社(にぎつじんじゃ)にて…
上田宗箇(うえだそうこ)流の茶会がありました。
私はお茶の心得はないのだけれど、
こういう機会もめったにないので好奇心で母と共に参加。
会場となった、饒津神社(にぎつじんじゃ)は、ちょっと
変わった建物です。
一般的に鳥居から見てまっすぐ奥に社殿があるものですが、
参道からくの字をかくように
斜めの方向に社殿が建てられています。
ガイドさんによると、饒津神社は広島城から見て
丑寅の方角(いわゆる鬼門)にあたり、
広島城を護るように、社殿をわざわざ広島城に向けて
建てたのだそうです。
上田宗箇は戦国時代の武将であり、のちに浅野家の家臣となった武家茶人。
今回は浅野家ゆかりの饒津神社の400年祭ということで、
お祝いの茶席なのです。
もう一方の会場、明星院でも浅野家との深い関わりがわかるのが…
本堂奥の赤穂義士像。
赤穂(兵庫県)の浅野家は広島の浅野家の分家になるのだそうです。
やはり、四十七士といえば大石内蔵助。
母いわく「まー、よしおさんが居ってじゃ。(*´Д`*)」
よしおさんて…∑( ̄ロ ̄|||)
大石主税 15歳。幼さが切ない。
明星院は原爆のときに建物が倒壊しながらも、奇跡的に焼失をまぬがれ、義士像も残ったそうです。
腕などが欠けているのは、原爆の名残なのですね。
広島市内で「木製」のものが残っているのは、本当に珍しいです。
元気よく泳ぐ、鯉のぼり。
広島城は「鯉城(りじょう)」とも言います。
歴史を感じながら、一服したのでした。
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